兵庫県震災復興研究センター

阪神・淡路大震災の直後の大混乱の中で、いち早く被災者の暮らしの復旧、被災地の復興を目標として、日本科学者会議兵庫支部と兵庫県労働運動総合研究所が共同で個人補償の実施を中心内容とした「震災復興のための提言」を1月 29日に国と被災自治体に提出しました。そして、この2つの研究機関を母体に1995年4月22日、兵庫県震災復興研究センター(震災研究センター)が設立されました。

パブリック・コメントの提出は締め切り

昨9月2日、パブリック・コメントの提出は締め切られました。全国からどれほどの意見が提出されたかはわかりませんが、後日整理されて「検討会」に報告されることと思います。
今回提出されたパブリック・コメントを参考に、本年12月までに最終報告がまとめられる予定です。
昨日の「神戸新聞」に、次のような泉 信也防災担当相の発言が載っていました。
私有財産についてどう考えるかはこれからの議論。ただ被災者が困っているからといって、何にでも公金を出せばいいとはならない」(「神戸新聞」9月2日付)
私は思わず、「何をいまさらこんな発言を」と少々、腹が立ちました。私有財産云々については、12年以上もの期間議論してきた。困っている被災者を救うということが災害復興において何よりも一番大切な目的ではないのか。『災害復興とそのミッション』(片山善博津久井進著)を読んでほしいと、思った次第です。
引き続き、「関心・期待」を持ち続けていきたいと考えております。この1週間、繰り返しメールを送信させていただきましたこと感謝申し上げます。

 

                     

「被災者生活再建支援制度に関する検討会中間報告」に対する意見
藤田明史

1.本報告は「被災者生活再建支援制度見直しの方向性について」と題されており、その方向性については、2「制度見直しの基本的考え方」(1)「本制度の存在意義」(2)「制度見直しで目指すべき方向」で述べられている。しかし、その基本的な考え方がどういうものか、あまり明確になっていないように思われる。したがって、この点の議論をもっと深めるべきである。以下、いくつかの点を指摘する。

2.阪神・淡路大震災で強く感じたことは、自然の脅威の前で人間の存在はいかに弱いものか、ということであった(まさに人間はひとくきの葦にすぎなかった)。しかし、だからこそ人間は社会を構成し、自らの生存を護ろうとするのであろう。震災で見出したのは地域社会の重要性であった。

3.国家の役割(の1つ)は、被災した人々や地域社会に必要な支援を与えることである。すなわち、国家は被災者に支援を行うための有効な道具ないし手段なのである。そのために市民は国家に税金を支払っているのである。この点の認識は、今後の日本国の進む方向とも関わって、きわめて重要である(軍事国家ではなく災害支援国家!)。

4.震災等の大災害に直面して、その社会の諸問題が露呈する。阪神・淡路大震災においても、そうした社会の不備のために多くの人々が苦しんだ。そうした不備の最たるものが、国家による「公的」支援のあり方であった。その底には、個人の財産に公的支援を行うべきではない、との考えがあった。しかしこれは問題の本質を見ない考えであろう。

5.首都直下地震等の大規模都市災害が起れば、その支援は一国の範囲では不可能であろう。支援を国際社会に求めなければならない。その意味で、世界規模での「被災者生活再建支援制度」が同時に検討されるべきであろう。


2007・8・31
「被災者生活再建支援制度」に関する検討会中間報告に対する意見
日本福祉大学名誉教授
金持 伸子(77歳)
 阪神・淡路大震災後、被災地で被災者の生活調査を継続してきたものとして、12年余を経過した今日でも、高齢者をはじめとする低所得者層の生活再建が、きわめて不十分な状況におかれていることを痛感させられている。この件については、現時点での生活支援制度検討の範疇を、やや離れているとも考えられるが、巨大地震の発生など、今後も、早期に大量の住宅供給を迫られる事態の発生が予想されることと関わって、とくに低所得層の生活再建支援については、災害後の避難所設定、仮設住宅建設、住宅復興等との連携を射程に入れての検討が必要に思われる。
 税金を投入して建設される災害復興公営住宅を、入居者の「高齢化を推し進めるモダンな密室」としないために、復興過程で為政者に何が求められるか、主として入居世帯の高齢化、とくに後期高齢期(75歳以上)にある人々に視点をおいて、意見を述べたい。

1) この世に生を受けたものは、やがて寿命が尽きて土に帰る。大震災時、65歳の人も、10年経てば75歳である。兵庫県下で災害復興公営住宅への入居が本格化したのは大震災後3年目からであった。大震災後しばらくは、生活再建に向かって自分自身を元気付けながら、さまざまな活動に参加できた人も、加齢とともに体力、気力の低下は避けがたく、とくに後期高齢期に入ると、これまで苦労を重ねた被災者は、疾病の重症化が目立ち、友人や近親者との死別を経験しながら、やがて自室にこもりがちの日々が増える。地域とはもちろん、入居者同士の交流も途絶えがちな一人ぐらしの高齢者の多い大規模復興公営住宅団地の夜は、歳を重ねるごとに、救急車のサイレンばかりが耳につくという。

2) 災害復興公営住宅入居者の高齢化の進展は、年々著しく、一人での生活が難しくなって、一部のシルバーハウジングや利便性よい立地条件のところは別にして、空き部屋も増えている。

3) もし、仮設住宅を建設する際に、公営住宅の完成時には、入居者のデイサービス施設に援用できるような施設と、一定数のLSAの配置をするなど、生活サイクルへの対応を視野に入れた建設計画、そしてLSAは仮設住宅入居時から、ボランティアと協力しつつ、一定期間継続して被災者の生活援助ができる体制を作ることが出来れば、災害復興国営住宅の雰囲気も、現在とはかなり変わるであろう。
 仮に、デイサービス等が併設できなくても, LSAが常駐して継続的な生活援助が恒常化して、入居者相互の公営住宅での生活が安定すれば、入居者自身の相互連携も強くなるにちがいない。

4) 大震災当時は年齢や収入制限で、災害復興公営住宅に入居できなかった人々も、子女の結婚、被災者自身の加齢にともなう定年退職、転職等々生活サイクルの変化とともに、かつては勤務先から住宅費の補助を受けるなどしていた人々も、住居の確保に苦労をして人々も少なくない。
 大震災被災世帯の加齢による生活安定のためには、早急に公営住宅法の改正を図り、社会的公共財としての災害復興公営住宅の有効な活用も推進して、被災者生活再建支援法を実質的にも充実すべきと考えている。
 より若い世帯の入居によって、後期高齢者は励まされ、災害復興公営住宅の活性化もはかれるであろう。

 

「被災者生活再建支援制度に関する検討会 中間報告」に対する意見
2007年8月29日
住所 神戸市兵庫区新開地4−4−12 
氏名 兵庫県商工団体連合会会長 磯谷吉夫

 阪神・淡路大震災から12年半が経過しました。私たち、被災中小業者は、「負けてたまるか大震災」の気概で被災直後から、営業やくらしの再建、そして地域の再建に貢献してきました。しかし、不十分な支援制度のもとで個人的努力にも限界があり、多くの中小業者が今でも震災の影響と不況にあえぎ、懸命に地域で生き抜いています。
 7月発表されました、被災者生活再建支援制度に関する中間報告に対し、阪神・淡路大震災を経験した被災中小業者の立場にたち、以下のように意見を表明します。

1、住宅本体への直接支援を
  被災者が震災を乗り越えて生活再建に踏み出す上で、住宅の再建は決定的です。現行制度では、「住宅本体は支援対象外」とし、その理由の一つに「私有財産であり、私有財産への公費投入は問題が生じる」との狭いとらえ方が、より一層被災者の生活再建を妨げています。
 住宅再建そのものは、地域づくり、まちづくりにつながり、再生への公共性を持っています。そのことも勘案し、住宅本体への直接支援を認めるべきです。

2、店舗・事業所などへの直接支援を
 これまで店舗・事業所等は、事業用の資産であることを理由に直接支援の対象にされてきませんでした。しかし、地域に根ざした中小業者の営みは、地域社会・経済の活気の源であり事業利益のみを追求する資本主導の事業活動とは異なり、地域に貢献する公共性をもっています。それは、生活の糧としての生業の手段であり、きめ細かい地域雇用の受け皿でもあります。また、商店街や町工場群をはじめ、地域の中小業者の生業が住民のくらしをささえている公共的な役割を考慮することが必要です。そして、地域の経済と雇用を支え、そして、地域コミュニティづくりの場として中小業者を位置づけることが重要です。
 こうした階層にとって、融資のみによる支援は「あらたな格差」への入口でもあり、「あらたな試練」を与える側面が大きく支援としては不完全です。これは、阪神大震災時の災害融資とその後の経過で証明済みです。12年以上たった今でも、未だ震災の後遺症が消えない事業者が破綻を続けています。
 保険等による備えが強調される向きがありますが、それがないものは「再建の資格がない」と断ずる意見であり、自然災害被災者の実態を踏まえないものです。保険料を負担できていない「事業」であることを直視し、実情に見合う視点とすることが求められます。
 今回、生業への直接支援が、この支援制度に組み入れられないとしても、以下の点を検討すべきです。
 農業、水産業などや大企業への補助金的支援策は、それぞれ管轄省庁を通じて、講じられているところですが、生業を事業であるとするなら、そのための独自の法体系で支援措置を講ずるべきであり、貴検討会として、独自施策の確立を提言するなどして、実現していくことが求められています。

3、支援対象について
 収入基準について、線引きをおこなうことは適当ではありません。そもそも、こうした支援は住宅・生活再建費用のすべてを補うものにはなりえず、個人による住宅再建等への意欲を促進するところに最大の効果があるものであり、収入の多寡で区別をする必要性はありません。
 そして、被害認定は、全壊・大規模半壊に規定せず、半壊も対象にすべきです。
                                以 上

 

津久井進です。
本日送ったパブリック・コメントです。インターネットだと字数制限があり,なかなか意を 尽くせませんでしたが,なんとかなればと思います。

 私は,あらためて憲法の理念に立ち戻って支援法の見直し作業を行うべきだと思います。 
すなわち,災害復興は,国民の「損害の救済」(憲法16条)の一場面であり,かつ,条件の平等(14条)を保障し,財産権(29条)の制度的保障の図り,生存権(25条)実現政策を行う場面にほかならず,これにより憲法の最高価値である個人の尊重(13条)を図る機会だと思うからです。具体的には,次のように考えるべきだと思います。

1.支援金の使途を,被災住宅の解体・撤去費やローン利子等の関連経費に限定せず、住宅建設費、購入費や補修費等の住宅本体の費用も支出の対象として認めるべきです。

2 支出対象を弾力化し,居住関係費の支出対象を,全壊住宅の補修費用,事業用の店舗・作業所・倉庫,賃貸住宅の賃貸人,地盤修復費などにも広げ,生活関係費の使途を限定せず被災者の自律的判断に委ねるべきです。

3.支給要件等を緩和し,年齢要件・年収要件を撤廃し,対象となる被害についても半壊世帯,床上浸水世帯を含めるべきです。

4.支給事務,支援金支給の手続き、被害程度の判定手続き,要提出書類の範囲等を簡素化すべきです。

5.被災自治体が適用要件や支給基準の細目,事務処理方法等について現場に即した判断が出来るよう自治体の裁量権を大幅に認めるべきです。

6.支給額の上限を500万円程度に引き上げるとともに,財源となる基金を満額(600億円)に充実させ,国の予算(平成19年度予算額3.1億円)も基金規模に見合ったレベルを確保(または基金への国の拠出)すべきです。
 特に国家予算としては自治基金規模の0.5%しか計上していないのは問題です。国に基金を設置することは,必ずしも財政法上不可能ではありませんし,少なくとも現在の基金への拠出は法律上は可能です。いざというときの備えを講じるのは,個人レベルでも,企業レベルでも,地方公共団体レベルでも当然の対策です。国においても同様です。国の財源の積み立てを制度化すべきです。

7.首都直下地震のような超大規模被害のフィージビリティを考慮して制度の改善が先送りになることは相当でなく,首都直下地震については,上限額の設定,国主導の特措法の策定などを検討し,他地域については一刻も早く改正を行うべきです。

8.能登半島地震新潟県中越沖地震への遡及適用をすべきです。


神戸市長田区の藤原柄彦氏(ボランティア)のご意見です。

一少市民からのお願いです。
私は、弁護士でも、学者でもありません。普通の市民です。神戸市民です。阪神・淡路大震災の被災地の市民です。あの時、全国の方々から支援を受けた者の一人です。感謝を何らかの形で、示し、表そうとし、その後の自然災害地に赴いている市民の一人です。
 私たちは、“あの時”にも色々と救いの手を求めました。しかし、“壁”に阻まれ、実現されませんでした。その結果、被害が拡大したと思っています。つまりこれは、人災だと言っても、過言ではありません。その為、とてもいたたまれない気持ちで過ごしてきました。
 一方、新潟や能登などの大地震被災者の方々は、『神戸の皆さんの(被災した)お陰で、こうやって沢山の方々がボランティアさんとして駆けつけていただき、感謝していますよ』異口同音に語っています。
 ところが、行政の対処についてはどうでしょうか?相変わらず、旧態依然ではないでしょうか。
 市民レベルでの拙い視方で、表現ですが、是非共、改正へ盛り込んでください。
 繰り返しますが、一小市民ですので、高尚な字句や表現は出来ません。普通の表現ですが、心の底から、訴えます。

仮設住宅には、二重ドアが必要です。
 現在建設完了し、引き渡している仮設住宅を二重ドアにしてください。
 能登中越沖地震でボランティア活動を展開する間に、仮設住宅を数箇所見てきましたが、相変わらずだと思いました。12年前、3年前の状態と同じです。何とか二重ドアにしてあげることは出来ないものでしょうか?
 仮設とは言いながら、それはまるで、コンテナをつなげただけのように見える(失礼)、住宅とも思えないような代物です。
仮設ながらも、人が住み・憩いそして、復興への足がかりとなる『場』ですから、せめて、出入り口部分を公費で、二重にしてあげる手立てを講じてあげてください。
 降雪の時期を待たずして、普段から必要です。例えば、降雨時期においても、必要です。
 また入室してすぐの所に、靴を脱がないといけないのであれば、何かしら落ち着かないようにも感じるのは私だけでは無いと思います。またそこは、台所の近くで、流し台が設置されています。衛生上においても好ましくありません。
 仮設でも住宅に必要な仕組みですので、一体化した物・附随した物とお考えいただけないでしょうか?

仮設住宅建設よりも、優先すべきこと。
 阪神のときとは異なり、能登中越地方では、人々の住宅の敷地は広く、家屋が倒壊しても、敷地内にはなお、余地があります。本来なら、その地に仮設住宅を建設して欲しいのです。悲しくも全壊した家屋ならば、その地に仮設住宅を建設して欲しいのです。
 もっと言えば、仮設住宅建設並びに解体経費を現金給付して欲しいのです。仮設住宅建設に要する経費を個人が自己家屋建設或いは修復の一部に充当できれば、効率的で、環境にも優しいのではないかと思います。仮設住宅ならば、短期間で、解体される運命ですが、自宅敷地内に建設した場合は、長期的に居住することが可能です。自己家屋建設に充当できれば、もっと長期的に居住することに耐えることが可能です。

所得制限の撤廃は、復興への近道。
 何故、所得制限を設定するのですか?高額所得の方が、元の地に留まり、一日も早く復興することが出来れば、そのことは即ち、その地の税収入も増加し、復興へのスピードアップすることにもつながります。高額所得者とは、かつての高額納税者を指しませんか?今まで納税していた方を裏切り・見捨てて・今後の納税意欲をそぐのですか?

被害の程度で、その後の救済制限を行わないで下さい。
 大規模全壊ではなくても、半壊判定であっても、それは非日常の世界に押し込められています。そこから脱出し、元の日常的な生活に戻ることは、非常に困難です。必要な経費には、大差ありません。

《以上です》

 

山崎栄一氏(大分大学准教授)のご意見です。

小生も憲法学者の視点から以下のような意見書を提出いたしました。

憲法という視点から見た被災者生活再建支援制度

被災者支援に憲法を生かす努力を
 これまで政府は、「個人補償否定論」をタテに、被災者支援制度の拡大を最小限のモノにしょうとしてきた。本来的には、憲法は国民の自由・権利を保障するために存在しているはずであるのに、被災者支援制度のあり方をめぐる議論においては、むしろ国民の自由・権利を限定する方向に作用している。憲法がこのように使われていること自体が、国民にとっての最大の悲劇ではないのか。

憲法と支援制度の関係
 憲法は、被災者支援法制の中で最高位に位置する法規範であり、支援制度の「指針」を提示している。憲法解釈の中から原理・原則を抽出することによって、支援制度の指針となり、支援制度の将来的な方向性・課題を示してくれる。いってみれば憲法は、支援制度にとっての「灯台」としての役割を担っているのである。
支援制度の大原則としての個人の尊重・自己決定権
 支援制度の総則的な「指針」となるのが、憲法13条から導き出される「個人の尊重」「自己決定権」である。個人の尊重からは、自立した個人についてはその自己決定・自己責任に基づく営みを最大限に尊重すると同時に、他方、自立できない個人について自立できるところまで国が生活配慮を行うという「指針」が導き出される)。また、個人の尊重は、「被災者支援政策(ひいては防災政策)の主人公は住民である」という、支援制度のあり方を考える際の原点を示してくれる。そこからは、支援制度の意思決定プロセスへの住民参加保障といった「指針」が導き出される。
 また、自己決定権の実質的確保という視点からは、被災者それぞれの「災害復興ストーリー」に即した支援メニューの整備(被災者ニーズの把握や支援メニューの多様性の確保)が「指針」として要請されることになる。

支援制度は、憲法上のどのような価値を追求しているのか
 これがはっきりしないとこれからの支援制度のビジョンも見えてこない。具体的にいえば、生存権の実現を目指した「社会国家的な配慮に基づいた制度」なのか、私有財産制を前提とした「自助を促進する制度」なのかがはっきりしていない。支援制度の設計にあたっては、憲法上の消極的な根拠付けである「個人補償否定論」を意識しすぎてしまい、積極的な根拠付けを怠ってしまっている嫌いがある。