兵庫県震災復興研究センター

阪神・淡路大震災の直後の大混乱の中で、いち早く被災者の暮らしの復旧、被災地の復興を目標として、日本科学者会議兵庫支部と兵庫県労働運動総合研究所が共同で個人補償の実施を中心内容とした「震災復興のための提言」を1月 29日に国と被災自治体に提出しました。そして、この2つの研究機関を母体に1995年4月22日、兵庫県震災復興研究センター(震災研究センター)が設立されました。

田結庄良昭(神戸大学名誉教授/地質学)氏の「神戸,都賀川集中豪雨禍の教訓−土石流危険渓流調査から−」をご紹介します。

神戸,都賀川集中豪雨禍の教訓−土石流危険渓流調査から−

田結庄良昭

 2008年7月28日,神戸,都賀川で集中豪雨があり,5名もの尊い命が失われた.この河川を末延武司氏(2003)と土石流危険渓流調査を行っていた者としては,この事故は開発のつけ,人災と思われる.都賀川は土石流危険渓流で,神戸市の広報にも掲載されている.
 都賀川は上流部が六甲川(標高約750m)と杣谷川(標高約640m)に分かれ,合流点(標高約70m)より下流都賀川と称し,約1.3kmが親水公園となっている.山頂から合流点までは約数kmである.我々の調査では,渓床勾配が15°を越え,流域は8.9haで,急勾配で,流域の広い河川である.
 河川に現在堆積している土砂や斜面での土砂量から流出土砂量を現地で求め,次に20数基の砂防ダムでの貯砂量を求めると,大幅に土砂量が上回り,土石流を止められないことが判明した.これは,砂防ダムの大部分が満杯状態であるのと,地震による斜面崩壊で河川堆積物が多くなったことによる.
 また,国土交通省河川局(1999)の調査法では,危険度ランクa1の最も危険度が高い土石流危険渓流である.2008年7月28日午後2時40分から30分間で計38mmの降雨が六甲山麓約300mの開発した住宅地で降った.そこの河川は3面張りで,直線的に付け替えられ,河口まで続く.これは,降った雨や土石流を短時間で海まで流す高排水方式をとっているためである.
 さらに,天井川であるため,両岸の高さは4mを超える.また,標高約300m付近の六甲川では川幅が約40-100mに達するのに,都賀川では川幅は18m前後である.すなわち,都賀川は上流部の方が川幅が広く,下流部で狭い河川である.また,都賀川は土石流防止のための河川で,その河川を後に親水公園としたのである.急な河川勾配,広い流域をもつ河川のため,短時間での降雨で10分間で134cmもの増水につながったと考えられる.
 都賀川は30年に一度の割合で土石流にみまわれる危険渓流で,2008年3月にも1mの水位上昇,1999年にも増水で救助されている.さらに,事故が起こったのは六甲川と杣谷川が合流した地点で,8.9haの広い流域の水が,都賀川に集中し,しかも秒速8mの異常な早さで押し寄せたため,1.3mの信じられない増水になったと考えられる.また,事故現場付近は過去の土石流被害地で,土石流の堆積場であった所で,急な河川勾配が急に緩やかになる所で最も水位が高くなりやすい所である.
 さらに,両岸が4m以上と高く,凹型で水が押し寄せたときには逃げられず,川におりる階段まで,数10mを走って逃げる必要のある地域である.このような危険な河川である所を親水公園した行政は,当然短時間の大雨で増水することを認識していたはずで,そこに警報機さえ取り付けられていなかった.
 そもそも土石流危険渓流で,標高300mまで,開発したところに問題があり,開発のつけ,すなわち,人災と思われる.このような河川は,六甲山の住吉川など,山地と市街地が接近している河川ではどこでも起こりえる.都賀川の問題は,都市開発に伴う防災の側面が浮き彫りになった事件と考えられ,都市河川での問題点を明らかにしたと言えよう.
 
田結庄良昭